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生い立ち[編集]嘉永2年7月7日(1849年8月24日)、陸奥国三春藩郷士・河野広可と妻・リヨ子の三男として生まれる。河野家は100石を給せられる他、呉服商・酒造業・魚問屋などを手広く営んでいた。川前紫渓に儒学を学び、その影響で尊皇攘夷論を唱えるようになった。決死の覚悟で会見[編集]戊辰戦争にあたっては、三春藩は当初、奥羽越列藩同盟に加担していたが、尊皇を奉じる河野らはこれに反対。兄・河野広胖らと共に明治政府への帰順を思案し、美正貫一郎の仲介を経て東山道総督府軍先鋒の参謀であった板垣退助に決死の覚悟で会見した。三春藩の帰順が認められ、晴れて土佐藩・迅衝隊に合流し、二本松藩攻略と会津戦争に参加する事が出来た。自由民権運動への参加[編集]明治維新後は、地元で若松県権少属、戸長、区長などを歴任した。明治6年(1873年)2月には磐前県第14区(のちの福島県常葉町・現田村市)副戸長に任命されるが、この頃ジョン・スチュアート・ミルの『自由乃理』(中村正直の訳)を読み、自由民権運動に開眼する。10月には戸長になり、河野は地元で全国に率先して民会を興し、区内の民政について審議せしめた。明治8年(1875年)に石川(のちの福島県石川町)の区長に転じた河野は地方官会議を傍聴するために上京。国会開設の建白をしたが政府の容れるところではなかった。郷里に戻り、任地である福島県石川町で石陽社を設立し、東北地方の自由民権運動のさきがけとなった。明治10年(1877年)、西南戦争が勃発すると、高知に板垣退助を訪ね、国会開設運動の母体として愛国社の再結成を協議した。帰郷後、三春に三師社を結成(明治11年)し、同時に福島県で民会規則の起草、県会開会の準備にあたるとともに、学塾正道館を創設(明治14年)して多くの自由民権活動家を育てた[2]。明治11年(1878年)、福島県庁に辞表を提出し、東北地方での民権運動に力を注ぐことになる。明治12年(1879年)、大阪で開かれた第3回愛国社大会に参加。明治13年(1880年)4月の第4回愛国社大会では国会開設を政府に訴えることを決議し、片岡健吉とともに、全国から集まった8万7,000名余りの署名を代表して太政官と元老院に国会開設の請願を提出したが、却下される。明治14年(1881年)10月、自由党結成に参加。自由党幹部として、中央政界の傍ら福島県会議員、県会議長として県議会においても指導的立場にあった。しかし、明治15年(1882年)に福島県令・三島通庸の圧政に対して福島事件がおきる。河野は、同志の田母野秀顕らと藩閥専制政府に対抗する連判状を取り交わしていたため、内乱陰謀の容疑で12月に検挙され、明治16年(1883年)に高等法院において軽禁獄7年の刑を宣告された。明治22年(1889年)の大日本帝国憲法発布に伴う恩赦[3]によって出獄を許された。牢から出た河野は、後藤象二郎の自由民権派を糾合する大同団結運動に参加し、大同倶楽部結成に参画する。
1913年(大正2年)福島県伊達郡梁川町に生まれる1931年(昭和6年)上京し、三木彫塑塾に入門1934年(昭和9年)日本美術協会展に入賞(「鷹」 木彫)1935年(昭和10年)日本美術協会展に入賞(「キツネ」 木彫)1936年(昭和11年)第16回帝展初入選(「浴後」 木彫)
以後、文展、日展に連続入選1945年(昭和20年)梁川町に疎開1952年(昭和27年)福島県庁前に「平和の像」を制作1953年(昭和28年)第9回日展で特選、朝倉賞を受賞(「双華」 木彫)1954年(昭和29年)第10回日展で特選受賞(「修道女ヴィンセンチア」)1972年(昭和47年)福島県文化功労者受賞決定、辞退1978年(昭和53年)福島市に財団法人太田良平記念館が設立1990年(平成2年)梁川町役場前に「朝の洸」を製作1994年(平成6年)梁川町民美術館に太田良平記念ホール開設1997年(平成9年)没